やさしいビタミンCの知識

ビタミンCは,どのようにして見つかった? (その2)

ビタミンC発見の歴史(2) ―20世紀初頭以後―

20世紀に入って間もなく,一大転機が訪れます.1907年,ノルウェーの科学者アクセル・ホルストによりモルモットが壊血病モデル動物として利用できることが明らかになり,これにより壊血病の原因を動物実験で追究することが可能になりました.英国のドラモンドは1919年にオレンジの果汁に壊血病を防ぐ作用を示す栄養素(水溶性因子C)を発見し,翌年,これをビタミンCと命名しました.ビタミンCを純粋な形で最初に分離したのは当時,英国で研究に従事していたハンガリーのアルベルト・セント-ジョルジで,彼は副腎中に含まれる未知の強力な還元性物質を1927年に結晶状に分離し,その分子式を明らかにし,分子式がヘキソースに近似して強い酸性を示すことから,それをヘキスウロン酸と名付けて報告しました.続いて,1932年に米国のチャールズ・グレン・キングはレモン果汁から単離した結晶がセント-ジョルジが単離した結晶と同一で,モルモットに対する坑壊血病作用があることを明らかにしました.それとほぼ同時期に,セント-ジョルジもヘキスウロン酸がモルモットに対して坑壊血病作用を示すことを報告しました.その構造決定については,セント-ジョルジから試料提供を受けた英国の糖化学者ノーマン・ハワースの研究チームが行い,翌1933年にその構造,即ち,ビタミンC(アスコルビン酸注3)の構造式が明らかになりました.更に,同年,タディウス・ライヒスタインらによりビタミンCの商業的規模での化学合成の道が開かれ,これにより有史以来,人類を苦しめ続けてきた壊血病の恐怖はこの世から消え去りました.なお,その功績などにより1937年度のノーベル医学生理学賞がセント-ジョルジに,同化学賞がハワースにそれぞれ授与されています注4

 

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注3 ハワースとセント-ジョルジはヘキスウロン酸をアスコルビン酸(Ascorbic Acid)(ラテン語で「A(Anti):抗+scorbic(scorbutic):壊血病作用が有る+Acid:酸」を意味する)と名付けることを提案しました.

注4 ビタミンCの化学合成に成功したライヒスタインは1950年度のノーベル医学生理学賞〔受賞研究課題:副腎皮質ホルモンからのコルチゾンの単離〕を受賞しています.なお,「ビタミンCの発見」に非常に大きく貢献したホルストはビタミンCの構造決定の直前,1931年にこの世を去っています.

[倉田 忠男]